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SPECIAL FEATURE 特集ページ

小説家とその周辺    

小説家とその周辺

梅雨の時期となりました。雨の日は家でのんびり読書するのもよいのではないでしょうか。今回は作家特集です。イギリス、ロシア、デンマーク、日本を代表する作家をピックアップし、彼らにまつわる物事をご紹介します。

参考文献

川端康成 - Wikipedia

『別冊太陽 童話の王様 アンデルセン』平凡社

Haworth Village - The Brontes

アンリ・トロワイヤ『ドストエフスキー伝』中央公論社


川端康成

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」恐らく知らない日本人はいないであろう『雪国』の冒頭の一節ですが、「国境」を「こっきょう」と読むか「くにざかい」と読むかは議論があるそうです。果たして作者はどちらを念頭に置いていたのでしょうか。


川端康成は大正から昭和の戦前・戦後にかけて活躍し、晩年、日本人として初のノーベル文学賞を受賞しました。代表作は『伊豆の踊子』『雪国』『古都』『山の音』など。映画化された作品も数多く、中でも『伊豆の踊子』はこれまでに6度も映画化されています。日本人に最も親しまれている名作です。

  • 川端康成(1899-1972)。書斎にて

  • スウェーデン国王グスタフ6世からノーベル文学賞のメダルと賞状を授与される

  • 1968年ノーベル賞受賞者たちと

  • 逗子の自宅にてコレクションを眺める。川端康成は古美術の蒐集家としても知られる

  • 「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思うころ」と始まる『伊豆の踊子』。天城峠を越えると初景滝の前には「踊子と私」の像がある

  • 主人公が踊り子と別れる下田港。『伊豆の踊子』は作者の伊豆旅行での実体験をもとに書かれた

  • 京都を舞台に生き別れになった双子の姉妹の数奇な運命を描く『古都』。祇園祭の夜、呉服問屋の娘・千重子は自分に瓜二つの村娘に出会う

  • 『雪国』の舞台は越後湯沢。東京から訪れた島村は温泉町で芸者・駒子と出会い、その一途な生き方に惹かれていく

クリスチャン・ハンス・アンデルセン

おとぎの国デンマークを代表する童話作家、アンデルセン。『マッチ売りの少女』『みにくいアヒルの子』『人魚姫』『親指姫』『雪の女王』など、誰もが子どもの頃に聞いたり読んだりした記憶があるのではないでしょうか。


19世紀初頭、デンマーク第3の都市オーデンセに生まれたアンデルセンは、15歳でオペラ歌手を志しコペンハーゲンへ上京します。オペラ歌手になることは叶いませんでしたが、30歳を過ぎてから多くの童話を発表し、70歳で亡くなるまでに160編以上の作品を残しています。『赤ずきん』や『白雪姫』で知られるグリム兄弟と同時代に活躍した人物で、彼らとの交流もありました。民話や説話を編纂した『グリム童話』とは異なり、アンデルセンは創作童話が中心でした。悲しい結末を迎える物語が少なくありませんが、アンデルセンの作品は150年の時を経て今なお世界中で愛されています。

  • アンデルセン(1805-1875)

  • アンデルセンの暮らしたコペンハーゲンの街並み

  • コペンハーゲンのシンボル「人魚姫の像」

  • アンデルセン生誕200周年記念切手

  • オーデンセにあるアンデルセンの生家

  • 窓辺に座るアンデルセン 1875年

  • 『人魚姫』の手書き原稿

  • 19-20世紀に出版された児童書、童話集

  • 『人魚姫』の挿絵 Ivan Jakovlevich Bilibin (1872-1942)

  • 『親指姫』の挿絵 Eleanor Vere Boyle (1825-1916)

  • 『裸の王様』の挿絵 H. Clarice (20th century)

  • 『マッチ売りの少女』の挿絵 Edith Heckstall Smith (fl.1884-90)

エミリー・ブロンテ

イギリスの19世紀を代表する女性作家であるエミリー・ブロンテ。1818年にヨークシャーのソーントンに誕生します。ブロンテ家に生まれたシャーロット、エミリー、アンの3姉妹は後に才能あふれるブロンテ姉妹へと成長しました。


ブロンテ家族がハワースに移った後、エミリーは詩作を始め、姉妹で本を出版します。その後『嵐が丘』の執筆に取りかかり、1847年に発表しました。しかし、現在名著として歴史に残るこの作品の当時の評価は低く、姉シャーロットの『ジェーン・エア』の高評価には及びませんでした。そして、発表の翌年、若き天才作家エミリー・ブロンテは結核でこの世を去りました。


『嵐が丘』の舞台は実際のブロンテ家族が生活していたヨークシャーの風景が描写されているといわれています。美しくも荒涼としたこの風景を舞台に人間の愛憎を力強く描いたこの物語は今でも人々を魅了してやみません。


  • ブロンテ家の唯一の男兄弟ブランウェルによる姉妹の肖像画。中央がエミリー

  • ブロンテ家の父であるパトリック・ブロンテ

  • エミリーによる『ゴンダル詩』 1837年

  • ブロンテ姉妹が作った小さな本 

  • エミリーは絵を描く事も得意であった

  • ハワースにあるブロンテ家のダイニングルーム。現在はブロンテ博物館となっている

  • エミリーの日記の一部

  • 初版『嵐が丘』 女性作家が一般的でなかった当時、エミリーはエリス・ベルという男性の名前で出版している

  • ヨークシャーの風景が『嵐が丘』をはじめブロンテ姉妹の文学の舞台となった

  • 『嵐が丘』の中のアーンショー家のモデルとなったと言われるトップウィゼンズと呼ばれる廃墟

  • 1959年発行『嵐が丘』の挿絵

  • ウィリアム・ワイラー監督による1939年の映画『嵐が丘』のシーン。『嵐が丘』は映画やドラマとなって繰り返しオマージュされている

フョードル・ドストエフスキー

言わずと知れたロシア文学の巨匠ドストエフスキー。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』などの名作を生み出し、日本文学にも多大な影響を与えました。


モスクワの貧民病院の医師の息子として生まれ、サンクトペテルブルグの工兵学校を終了後、陸軍中尉としての仕事を得ますが1年余りで退職。貧しい日々を送る中、25歳の時に書き上げた『貧しき人々』が高評価を得て、ドストエフスキーは華々しい文壇デビューをはたします。政治犯としてのシベリア流刑という経験を経た後サンクトペテルブルグへ戻ると、ドストエフスキーは次々と小説を書き上げ、作家としての成功を収めています。


ドストエフスキーが生涯書き残した多くの小説には、当時のロシアの社会的・政治的な背景を舞台に貧困や死、そして自己の意識などがテーマに描かれていると言われます。現在でも哲学的、心理学的、そして宗教的な側面などからさまざまな研究が世界中の研究者たちによってされています。


  • 『悪霊』の手書き原稿

  • ドストエフスキーの所有していた福音書

  • 空想的社会主義に傾倒したドストエフスキーは政治犯として1849年逮捕される。逮捕後死刑判決となるが銃刑の直前にシベリア流刑との恩赦を受ける  

  • 19世紀のシベリア流刑者の強制労働の様子

  • ドストエフスキーの口述筆記を担当したアンナ・スニートキナ。後にドストエフスキーの妻となる

  • ドストエフスキーが1857年から1859年まで過ごした家。現在はドストエフスキー記念館となっている

  • 「(ラスコーリニコフは)静かな落ち着いた気持でネワ川を眺め、赤々と輝く太陽のまばゆいばかりの夕映えに目をやった。」

  • 1874年版『罪と罰』の挿絵

  • 『カラマーゾフの兄弟』の舞台となったと言われるロシア北西部の都市スターラヤ・ルッサの風景

  • 1881年ドストエフスキーの葬儀の様子

  • サンクトペテルブルグにあるドストエフスキーの墓石

  • サンクトペテルブルグ市内にはドストエフスキー駅があり、構内の壁にはドストエフスキーの肖像や小説の場面が描かれている

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