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The Cold War ベルリンの壁崩壊から25年-冷戦の歴史    

The Cold War ベルリンの壁崩壊から25年-冷戦の歴史

今年2014年はベルリンの壁崩壊から25周年を記念する年です。1989年に起こったベルリンの壁崩壊は、第二次世界大戦後から続いた東西冷戦の終結の象徴となりました。その後のソ連の崩壊以後冷戦は終結したかに思われましたが、新たな冷戦とも言われるグローバルな国家間の複雑な対峙が続き、現在に至ります。今回は冷戦に関する歴史的報道写真をご紹介します。



冷戦の始まり

冷戦の始まり

第2次世界大戦後の戦勝国アメリカ・ソ連・イギリスによるヤルタ会談以降、アメリカを中心とした資本主義国と、ソ連を中心とした共産主義国の陣営という世界を二分する体制が生まれました。戦後処理の協議によってドイツの国土、そして首都のベルリンは米ソ英仏の4カ国によって分割占領され、その後ソ連と米英仏の西陣営の溝が深まる中、東西ベルリンに分断されました。
資本主義国陣営と共産主義国陣営の分裂は世界中の国々と地域に波及し、両者によって支援された国々の間での抗争・分裂が起こりグローバルな規模での対立が生まれました。

  • 戦後のヤルタ会談の後に開かれたポツダム会談(1945年)によって米、英とソ連の対立は深まっていった。

  • ソ連は東ドイツ内に孤立する西ベルリンに向かう西ドイツからの交通網であった鉄道を封鎖してしまう。食料や生活必需品を運ぶ経路が立たれてしまった西ベルリン市民に対しアメリカとイギリスは空輸という手段で品物を届けた。

  • 西ベルリンに届ける荷物を積む様子

  • ベルリン封鎖中は西ベルリンへの電力供給もストップされた。

  • 東ベルリン暴動(1953年) ソ連の占領に対する東ベルリン市民の暴動が起こった。

  • 戦後ソ連の占領下にあったハンガリーでは、1953年にスターリンが死去するとそれを機にスターリン体制に対する反対運動が広がった。1963年にはハンガリー動乱と呼ばれる市民による蜂起が起きた。

  • ハンガリー動乱中に壊されるスターリンの像

  • ソ連の脅威に対するため、北大西洋条約がアメリカやフランスを中心とする西側諸国によって締結された。

  • 西側諸国の北大西洋条約機構に対抗するため、ソ連を中心とした東欧諸国の政治・軍事同盟同盟であるワルシャワ条約機構が結ばれた。(1955年)

  • 東ベルリンから西ベルリンへの人々の流出が進み、1961年東ドイツ政府は西ベルリンとの間に壁を建設し始めた。

  • 西ベルリンへ逃亡する少女

  • チェコ事件(1968年)自由化政策を進めるチェコに対し、ソ連率いるワルシャワ条約機構軍が軍事介入を行った。

冷戦と戦争

冷戦と戦争

アメリカとソ連の緊張は長く続きましたが、両国間で直接的な戦火を交えることはありませんでした。しかし、代理戦争と呼ばれる資本主義国陣営と共産主義国陣営に分断された国家を舞台とした、実質的には東西陣営間の戦いである紛争が幾度となく起こりました。日本の敗戦後ソ連軍とアメリカ軍によって分割・占領された朝鮮半島では、1950年にソ連軍が大韓民国に侵攻を行い、ソ連を支援する中国人民義勇軍とアメリカを中心とする国連軍による朝鮮戦争が引き起こされました。
また、朝鮮戦争の休戦から10年と経たない頃、ベトナムの独立を戦ったインドシナ戦争によって分断されたベトナムを舞台に、東西陣営による支援と介入を受けた南北ベトナムで再び戦争が起こりました。長く続いたベトナム戦争は甚大な被害をもたらし、歴史に深い傷跡を残しました。

  • アメリカ軍が韓国に到着する様子(1950年) アメリカを中心とした国連軍に支援された大韓民国と、ソ連軍を中心とした朝鮮民主主義人民共和国によって戦争が行われた。

  • 農民のそばを進むアメリカ軍の戦車

  • 中国と北朝鮮の国境に降り立つアメリカ軍兵士たち

  • 北朝鮮を支援する中華人民共和国の兵士たち

  • 握手をする国連軍総司令官ダグラス・マッカーサーとハリー・トルーマン大統領

  • アメリカ軍を中心とした資本主義陣営に支援されたベトナム共和国とソ連を中心とした共産国陣営のベトナム民主共和国の間の戦争であった。

  • 銃の訓練をする南ベトナムの子供達

  • ベトナムのジャングルでの戦いはアメリカ兵にとって不利となった。

  • 負傷したアメリカ兵たち

  • アメリカ兵の行った枯葉剤の散布はその後長年に渡る甚大な被害をもたらした。

  • アメリカの発表したキューバの中距離ミサイル基地の写真。1962年に起こったキューバ危機によって冷戦の緊張は最高潮に達した。

  • キューバ危機の際に国際連合安全保障理事官の会議にて発言する国連大使のアドレー・スティーブンソン(1962年)

ベルリンの壁崩壊からソビエト社会主義共和国連邦の解体へ

ベルリンの壁崩壊からソビエト社会主義共和国連邦の解体へ

1989年11月9日、ついに1961年の建設から30年間近く聳え立っていたベルリンの壁が崩壊します。この年東欧諸国における共産党政府の解体など民主化の動きが広まり、東ドイツ人の流出やデモ活動が顕著となりました。それに続いた東ドイツ国民の海外への渡航自由化の発令をきっかけに東西を隔てていたベルリンの壁が壊され、そして翌年には東西ドイツが統合されました。同年12月にはミハイル・ゴルバチョフ書記長とジョージ・ブッシュ大統領の間で冷戦の終結宣言がされました。
東西ベルリンの統一は、東欧諸国やソビエト連邦構成共和国と呼ばれたソ連を構成する共和国の民主化・独立を促し、ついにソ連の崩壊となりました。

  • 1989年11月9日 国境の開放を祝うベルリン市民

  • 東ベルリンの人々を歓迎する西ベルリンの人々

  • 国境の開放から数日後、本格的な壁の撤去が始まった。

  • 開放に伴って、東から西ベルリンへ移動した人々へ歓迎金として100マルクが支給された。

  • 8代目ソビエト連邦共産党書記長であるミハイル・ゴルバチョフによって「ペレストロイカ」とよばれる政治体制の改革が行われた。

  • 1991年に成立したロシア連邦の初代大統領にボリス・エリツィンが就任。

  • KGB(ソ連国家保安委員会)の父とされた、フェリックス・ジェルジンスキーの銅像は、ロシア連邦の成立と同時に人々によって壊された。

  • ホワイトハウスで握手をするエリツィン大統領とブッシュ大統領(1992年)

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